ボクの人生2020?今までを振り返る?

このブログに訪問していただいた皆さん、初めまして。
ブログ「動物イラストん」を運営している、おざきしょうたと言います。(現在はおさんぽ鳥見に方向転換)

ここでは、僕がなぜ絵を描き始めたのか?
僕の今までの人生を振り返るページになっています。

すこし長いのですが、ご興味があればご覧いただければ幸いです。

高校を卒業したらコックさんになるんだ

高校を卒業しようとしていた僕の進路はもう決まっていました。

それはコックさん。

なんでって?

父親が作ってくれたチャーハンが理由かな。今となっては詳しい理由がわからないんですが、父親の料理している姿が格好良く見えたのかも。

 

専門学校で夢破れる

もともと自分に自信が無かった僕。

コックになると言う夢を持って調理師の専門学校に通うんですが、そこで紹介されたバイト先で、とても怖い思いをして・・・コックになる事が怖くなってしまったんです。

社会が怖い…

 

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罵声・恫喝・・・怒られないようにするだけの日々

バイト先では何をしても怒られた。もう恫喝されてるって感じるくらいに・・・
しかもそのバイト先のコックさんが、凄い強面の人で僕はその時点で凄いビビっていたのもあって、より一層怖かったんです。

出勤して、シンク台に洗い物が溜まっていたら、それを先に片付ける。それだけで怒られた。
「何をしたらいいか、まず聞きに来いよ!!」ってさ・・・
バイト先では、ただ怒られませんようにと願うだけだった。でもいつも怒られてたね。

 

思い出すと、今でも泣ける

皆さんは、人生で大泣きした事ってありますか?

僕はあります。勿論、それは調理師学校に通っていた時に働いていたバイト先。

まぁ、色々あっても何だかんだ辞めずに続けていたんだけど、ついに辞めろ!!と言われて、僕はもう逃げたくて、本当に尻尾を巻くように逃げ出したんだ。

その時、ロッカー室で大泣きしました。もうとにかく悔しくて・・・

 

悔しい理由

どうして悔しかったのか?

勿論、続けられなかった事もそうだけど・・・
辞めれる事を待ち望んでいたからかな・・・バイト先に向かう時、勤務時間が近づく度に気持ちが沈んでいった。

本当に辞めたかったのだけれど、自分でそれを言う事は負けになると思ってた。
でも、いざ辞めろと言われたら、すんなりそれを受け入れてしまった自分が情けなくて・・・もう本当に泣いた。

あの時以上に悔し涙を流す事は、もう無いんじゃないかってくらい悔しかった。

 

気力が無くなってしまった

小学生の頃から思っていました。僕はコックになるんだって。

そう思ってたはずだったんだけど、コックとして働く事に恐怖を感じた僕には、もうコックになる意思は残っていませんでした。

調理師学校の先生は、僕を責めた。どうして辞める前に相談しなかったのかって・・・

 

自分の中で溜め込む性格

僕は、小学校も中学校も高校も・・・プールの授業が嫌いだった。
と言うか、体育が嫌いだった。人前に出る事が嫌いだった。
でも、仮病を使って休む事はしなかった。嫌だったけど、授業は出たし、高校では皆勤賞だった。

僕は、嫌な事は我慢する人間でした。相談するって事を知らなかったんです。
だから相談出来なかった。嫌な事は耐える・・・それが僕の解決方法だったから。

 

コックにならないなら何になる

当然、親にも相談する事はなかったんですが、
調理師にならないと決めた僕を、親は黙って受け入れてくれた。
調理師学校の先生と親と僕とで面談して、これからを話し合った時、母は僕の意思を尊重してくれたんだ。

でも、コックにならないなら、何になればいいんだろう?

 

絵にすがった

今まで、ずっと絵を描いてきたわけじゃないけれど、
チラシの裏に絵を描く事が好きだった僕は、コックになれないとわかると、絵にすがるように、絵を描いていた。

調理師学校に通いながら、それ以外の時間は、ひたすら絵を描いていたんだ。

 

どうみてもへたくそな絵

でも、どうみてもへたくそなんですよね。絵が。

これでよく絵を描く道に行こうと思えたね・・・って、今の僕なら笑ってしまうくらい。
しかも始めは、漫画やアニメのイラストレーターになろうとしてたんだから・・・無謀だったんだけど、絵を描くのは凄く楽しかった。

調理師学校時代の絵

 

絵の専門学校に通う

独学では上達に時間がかかりすぎる。
お金があったわけではない家の懐事情。
少しもめたけど、最後は親も許してくれて、僕は絵の専門学校に通いました。

バイトをしながら、絵を描いて・・・
でも、絵の学校に通っても、あんまり上達しなかったんです。

 

とにかく描いた

学校に通っている間は、とにかく絵を描いた。

もともと絵の勉強をしていたわけじゃなかったので、学校に通っている時は、先生の言っている事を半分も理解出来ていなかったのだけれど、それでも描くだけ描いた。教えてもらった色々な表現も試した。

でも上手くはなかった。どうしよう・・・学校にまで通って、絵の道も駄目だったら・・・そんな不安とも戦っていた。

 

スポンジと出会う

専門学校を卒業するまで、あと半年。

色々な表現を試しながら、その中にあったスポンジを使った表現技法。

今でも何故そう感じたのか、自分でも分からないのですが、その時

ビビビ!

と、これしかない!と感じたのでした。
これが僕、おざきしょうたとスポンジとの出会いだったんです。

とんとんアニマルズがうまれる

スポンジを使って、絵を描こうと決めてから、不思議と昔から持っていた自然が好きな気持ちが蘇ってきて、スポンジで動物達を描こうと思い立ったのでした。

初めてのとんとんアニマルズ「ワニ」

すべてが自分の為に用意されていたかのような感覚。

スポンジとの出会いは、僕にとって革命だったんです。

 

自信もついた

学生時代はとにかく誇れる物が無くて、自信が無かった僕。

絵は上手く無かったけど、自分の中で、しっくり来るスポンジ表現「TONTON ANIMALS」と出会った事で、僕は自分に自信を持てたんです。

何があっても、この表現さえあれば、僕の心は満たされる・・・そんな感覚でした。

 

結局、就職は出来なかったけど

スポンジと出会っても、画力はそこまで高く無かったので、イラストレーターとして会社勤めする事は、結局出来なかった。

けれど、スポンジで描くとんとんアニマルズを生み出した僕は、根拠の無い自信に包まれていました。

学校を卒業後は、アートイベントや手づくり市に出展し、そこで出会ったご縁で、初めて個展をするまでに至りました。

 

百貨店でのイベント・画材メーカーとのコラボ

アートイベントでの出会いは、百貨店でのイベントや画材メーカとのコラボにまで広がり、根拠の無い自信は、少しづつ経験に裏付けられた自信になっていったんです。

 

でも、自信を無くす

でも、その頃、僕は自分の表現に悩んでいました。

動物達を描く時に当然動物達の事を調べます。

そして、人間と動物達との歴史を知り、人間の欲の為に、多くの生き物が辛い状況にある事を知り、それを何とかしたいという動物達に対して想いが強くなったんです。

それで、ただ動物達を描くだけじゃなく、敬意ある表現をしなくてはと思う様になりました。

 

敬意の表現方法に悩む

動物達を描くには、敬意が無ければいけない。そうは言っても、敬意ある表現とは何なんだろう?

ここ4年の僕の悩みは、この一点だけです。それは今も答えは出ていなくて、

この悩みを持ち始めたときから、僕の絵を魅力的に感じる事が出来なくなったんです。

 

絵を描く事が嫌になる

動物達に想いを寄せるほど、動物を描く事に何の意味があるのか・・・と思う様になり、動物達を想うなら、絵を描く以外にやるべき事があるのではないかと、動物達を表現する事が嫌になってしまったんです。

 

スポンジを手放す

動物達を表現する中で、いつしか動物達の方に重きを置く様になっていた僕。

絵で動物達を表現するよりも、直接自然との関わりを持ちたいと思う様になり、一度スポンジを手放す事にしました。

 

あれだけすがったはずの絵を描く事だったけど

辛いあの頃から逃げる様に、すがった絵を描く事。

なのに、今度はそれを手放してしまった。

それだけ動物達に対しての想いが強くなっていたんです。

 

この気持ちを無視できない

敬意ある表現、この形を見つけるには、今までの様に動物を描いているだけでは駄目だと思い、

僕はその答えを探し始めるのでした。

 

スポンジを捨てて、種を蒔く

スポンジを捨てた僕が敬意ある表現を求めて実践した事が、野菜を作る事でした。

自然の流れに身を任せて、僕が食べる物を作る行為。

生きている事を実感する事で、自分を動物へと近づけて、動物達への敬意を探したんです。

 

自然は関わりあい

自然の中で、自分を見つめなおし、動物とは何かを考えて、

「地球は多くの生き物が関わり合って存在している」を、少し実感できました。

一つの野菜を作るだけでも、野菜以外の草があって、小さな虫達がいて、カエル達がいて、スズメやカラスがいる。

 

したかった事を実現する

その空間が、凄く居心地が良くて、このままこの生活を続けてもいいなぁなんて考えていました。

自然の中にいて生き物達と触れ合えて、無農薬の野菜作りで、生き物にとってもいい環境を作れている・・・

僕がしたかった事が、小さな畑だけど、ここにある。

 

でも、このままじゃ駄目だ

とても居心地のいい空間だった。誰とも会わず、自分だけでしたいようにして、自然の中で生きる事が出来て・・・

でも、このままでいいのか。

自分のしたいように・・・と言いながら、自分の殻に閉じこもって、挑戦する事から逃げているだけなんじゃないかって。

 

細々と続けていた絵

元々は敬意ある表現を求めての野菜作り。

野菜を作っている間も、細々と動物の絵を描いてはいました。

あんまり出来に変化は無かったけれど・・・

野菜作りをする事で、環境を良くすると言う目標を少しだけ叶える事が出来た実感が、もう一度僕に絵を向き合う余裕をくれたんです。

 

絵を描く事が日常になっていた

野菜を作っていた時も、止める事は無かった絵を描く事。

3年も毎日絵を描いていれば、絵に悩んだとしても、それを止める事は無かったんです。

悩みながらも、やっぱり絵を描いていた。それが僕の日常で、生きる意味にもなっていたんです。

 

生きている実感

野菜を作りながら、農業でお金を得る事も考えました。

けれど、僕にとって野菜は環境を良くする為の副産物でしかなく、野菜で社会に訴える熱意が、絵ほど無いと想ったんです。

動物を描く事に対しては凄く悩むし、苦しくて、どうしたらいいのかわからないのですが、動物達の事を考える時、僕は充実感に包まれていました。

 

社会との関わり方

皆さんに胸を張って、何かを提供出来るとしたら・・・

僕にとって、それは絵を描く事だと断言はできないけれど、
それが僕のしたい事でもある。

だから、絵を通して何かしら貢献したいと思うようになっていました。

敬意ある表現は、まだ見つかっていないけど、それを思う前でも僕の絵を見てくれた人は、好感を持ってくれていた事に思い出したんです。

 

もう一度、スポンジを手に取る

野菜作りをした事で、悩みは解消されないものの、僕はもう一度スポンジを手に取る事にしました。

そう決意すると、途端に動物の絵を描きたくなって、お魚100匹を描いたんです。

お魚100匹

世界最大級の水族館「海遊館」で展示を行う

お魚100匹を描いて、絵を描く事で生きていく決意をした僕は、以前より僕の事を良く思ってくださった方に相談して、これを使って何か出来ないかと相談したんです。

そこから関西の一番有名な動物施設の一つでもある「海遊館」で展示を行おう!と言う目標を立てて、沢山の方々の手をお借りして、2015年に実現に漕ぎ付ける事が出来たのでした。

世界最大級の水族館「海遊館」での作品展示

ですが、ここで協力してくださった皆さんに失礼な事をしてしまい・・・
僕は人間としての未熟さを痛感したんです。

そして環境の事、絵だけの事を考えていてもいいのかな・・・と思う様になりました。

今まではずっと動物一筋で、どうやったら動物をもっと魅力的に描けるのか・・・
その事だけを考えていて、どうしたらもっと人と動物との共存が出来るのか・・・
それだけを考えていました。

でも、人と動物との共存なら、動物だけじゃなく人の事も知らないと・・・
人も動物なんだから・・・
後になって、そんな風に思ったんです。

 

人間なんてゴミクズだ

環境意識に目覚めてからの僕は、人間なんてゴミクズだって感情が少なからずあったと思います。
それは他人にも自分にも思う事で、もはや生きている価値なんてないんじゃないかって思っていたんです。

だから、どこか諦めてた気持ちもありました。
環境を汚す人間=自分が、生きていていいわけが無い。
でも、死ぬ事も出来ないから、自分のやりたい事をやっているんだけど、どこか他人事のような感覚。

それが海遊館のイベントで、他人にまで及んでいて・・・
せっかく僕の絵を気に入ってくれて、協力してくれた皆さんだったのに・・・
凄く失礼な事をしていたんだ・・・と気づかされたんです。

 

何があっての環境意識なのか?

僕の絵を、僕の事を良く思ってくれた人達に、素直にありがとうも言えなくなる環境意識って、何なんだろう。
でも、過剰なくらいの環境意識じゃないと、この地球はどんどん危険な状態になると僕は思っていて、でも僕に出来る事も少なくて・・・

違う。
それよりも、僕の絵を気に入ってくれた人と、素直に喜びを分かち合いたいと思っている自分がいる。
人間が嫌いなわけじゃなかったのに、環境意識やら、過去に人間が犯してきた罪やら・・・色んな物がごちゃ混ぜになって、人間はすべて罪人だって思う様になっていた。

環境意識も、もし人間が地球に住めなくなったら、それが知的生命体と豪語する人間が原因だったとしたら、それでも僕達は知的な存在だったと言えるんだろうか?欲望の限り資源を消費していく人間の醜さが嫌だから、環境に配慮しようと思っている。
環境意識は、僕が人間としてどうありたいかの一つの答えだと言う事に気づいたんです。

それでどうなったという事もないんですが・・・
人間=罪人みたいな極端な思考は少しづつ和らいできました。

 

その後の僕は・・・

海遊館のイベントの後は、兵庫県立「人と自然の博物館」で作品を展示を行いました。

もっと動物の事を伝えたいという気持ちから、博物館という場所で展示をしたんです。
ですが、なんか違うなぁ・・・と思っていました。

作品展示の部分は良くても、伝える内容の部分で何か違うなぁ・・・と思っていたんです。

それと人間としての未熟さをどう改善していくべきか・・・
2019年の現在に至るまで、動物の何を伝えられるのか?人間としてどうあるべきなのか?そればっかり考えていました。

 

あれもこれもと目移りしてる

気持ちが浮かんでは沈み、浮かんでは沈み・・・

アレがいいかな、コレがいいかな・・・と、どんどん色んな物に手を出す始末・・・

どんどん動物を描く事が辛くなってきました。
ずっと、動物だけを描いてきたのに、これも無くなったら僕はどうしたらいいんだろう・・・

どんどん不安が襲ってきたんです。

 

それでも絵は描いていた

一時期は、絵を描く事も嫌だーってなって、畑で野菜を育てたりしていたんですが、やっぱり絵は描いていたかったので、苦しいなぁと感じながらも絵は描いていました。

僕の友達:安田くん

お世話になった:園山さん

お世話になった:木村さん

お世話になった山本さんと佐野さん

お世話になった山本さんと佐野さん

動物だけに目を向けず、好きな事に打ち込んでいる人を描こうと人物も描くようになりました。
人を描くのも、普通に楽しくてよかったんですが、圧倒的なモデル不足。
すぐに描きたい人達がいなくなってしまいました。

 

それで自分を描いていた

自画像 自画像 自画像

それで自分を描いたりしていたんですが・・・
これもすぐにもういいやってなっちゃって・・・

飽き性な自分を目の当たりにして、はぁ・・・駄目だなぁなんて思っちゃったりして・・・

そしたら、より一層不安になってしまって・・・
絵を描くのは楽しいのに、苦しくて・・・
胃が痛くなってしまったんです。

絵本、漫画、売れるジャンルの絵

他にも、絵本を制作してみた。
けれど、動物と対峙した事のない僕の描く物語は、僕を満足させるものではなかった。

人間を描くようになったこともあって、漫画も描いてみたけれど…
やっぱり絵を描くのは楽しいなぁって気持ちを実感しただけだった。

売れるジャンルと言われるテイストの絵も描いてみたけれど、
こんなの描き続けられないと思った。

 

結局、動物に戻ってきてしまう

色んなモチーフや表現を試してきたけれど、
自主的に描きたい物は・・・やっぱり動物だったんです。

それでも動物の何を描きたいのか、なんだかこねくり回している感覚があり、答えの出ないまま描いたりしていました。
ちょうどその頃、インスタグラムも本格的に使うようになって、インスタグラムでウケル感じの絵にした方がいいのかなぁ・・・とか、また考えてしまって、胃痛が・・・

 

心が拒否してる

インスタグラムで受ける絵はこれだ!とか自分なりにやってはみたんです。
いいねの多い絵を模したテイストをあげてみたり・・・

でも自分の心は荒んでました。
このままこれで突き進むのは辛いなぁと思っていたけれど、自分のこれだって物がわからなくなっていて・・・

2019年に入ってから・・・というか、インスタグラムを本格的に始めてからは、僕もいつの間にかSNSに取り憑かれていたんです。
意識していなくても、いいねという数字がバッチリ出ているのが、人間にこうも影響する物かと・・・

 

僕だけに伝えられる動物の事って

そんな物はないんです。
それに僕は動物の生態を、自分が確認もしていないのに好き勝手に伝える事に、動物に対して申し訳ないと感じています。

ですが、そうも言ってられない事実も体験しました。
そもそも動物に興味が無い人が多いって事。

名前は知っていても、基本情報すら知らない人。
名前すら知らない人。

そんな人には絵だけでは力不足・・・
最低限の情報も必要だろうと思う様になったんです。

動物を描き始めてから、今までもこれからも・・・
僕が動物を描く原動力は、「地球にはこんな動物がいるんだ!!凄い!!」って感動なんです。

いや、原動力は問題なくても、問題はその感動を表現する事に納得できてない事か・・・
でも、それは描くしか答えは出ない。

 

僕が動物を描く理由

この地球で知られている生き物の種類は約175万種と言われていて、そのうち僕達人間と同じほ乳類だけでも約6000種もいます。
その6000種の動物達は、僕達と同じ様に生きていて、自分達の生き方を持っています。
そして、その生き方は動物の姿形に表れていると僕は感じていて、そこから「生きる」というエネルギーも感じています。

「生きている」という事を実感しにくくなった現代で、動物達の存在が「生きる」とは何かを感じさせてくれている。
だから、僕は動物達に惹かれています。
そして、動物達を知って、僕は自分も「生きる」事に向かい合いたいと思ったんです。

こんな動物がいるんだ!!って事実は、実際にその動物に触れ合う事が無くても、この地球に対する価値観を、ほ乳類という種の多様性を、自然という豊かさを・・・
そして「生きる」事についてを教えたり、考えを広げてくれたりします。

僕は動物の事を知る度に、地球って凄い!
自然って凄い!
動物って凄い!
命って凄い!
生きるって凄い!
と感動してきました。

動物の事を知る度に、ちっぽけな僕が強くなった気がして・・・
ただ動物だけを描いていたいと思っているんです。
(途中、ちょっと右往左往したんですけどね・・・)

動物達の姿形は、「生きる」事を体現した形。
動物達から感じるのは、愛嬌もありますが、それ以上に「生きている」というエネルギーだと思っています。

地球には、こんな動物がいるんだ!!って事が、僕と同じ様に誰かの力になるかもしれない・・・
動物という存在が、あなたを強くしてくれる。
ほ乳類だけで約6000種。
だからこんな動物がいるんだって感動を絵にして、皆さんにお届けできたらなと思っています。

 

伝える為の具体案

動物を知る感動を伝えたい。
ワクワクできる楽しい体験を、動物の絵を通してお伝えしたい。

今までの動物を描きたいという自己満足な理由から、見る人に寄り添った目標を立てれた気がしたそんな時。

色んな理由でスポンジ表現に嫌気が差していました。
それにアナログ作業だと、たくさんの動物を描くのに時間がかかってしまいます。

原画が必要な絵は、スポンジで描こう。

伝えるのを目的にした絵は、デジタルで描こう。

色んな表現を試していた僕は、目的に応じて手段を変える方法をすんなりと受け入れる事ができたんです。
今までだったら、自分のやってきていたスポンジ表現で何でもやってしまうところだったんですが…

 

ブログの名前を変える

そして、ブログの名前も「SPONGE TONTON」から「動物イラストん」に変更しました。

動物の絵を描く事を主軸に、その枝先に「スポンジで絵を描いたり」「デジタルで絵を描いたり」しようと。
幹自体は動物の絵を描く事だから。

そしてその動物の絵を描く事が、僕にとって楽しい事だから。

 

今でも自然との共生に悩んでいるけれど

自然との共生を忘れたわけではありません。

僕のしたい事の中に、

・動物の絵を描く事
・自然との共生を目指す

があって、それを一緒にしちゃうと何もできなくなってしまうから。

それぞれを独立させて考えるようになったんです。

動物の絵を描く事は…
とにかく「描いて、伝える」をテーマに、絵と共に皆さんに楽しんでもらえるようなコンテンツを考える事に集中しようと思っています。
自然との共生を目指す事は…
自然との共生は、絵を描く事以外の自分の生活の中で実践できる事をやっていくと決めました。

 

あと一つ、大切な事がありました。

大切な人と一緒に過ごす時も、とにかく楽しい空間を過ごそうという事です。
そこに自分の価値観を押し付けようとせず、楽しくいるのが最大の目的にしようと。

 

そんなわけで、自分の中で目標を明確にしました。
現実の活動としては、動物の絵を描いて、このブログで発信していく事を中心にしていきたいと思っています。

皆さんと動物達を知るワクワクを共有できたらと思っています。

(2020.04.05)

追記:2021年6月22日

現在、このサイトは「おさんぽ鳥見」という名前に変わっています。

と言うのは、僕が絵を描くのをお休みして、目指す方向性を変更したからです。
新しい方向性は「身近にもこんな鳥がいるんだ」って感動を1人でも多くの人に感じてもらう事です。

 

いや、前から絵を通して動物達を伝えるのは変わっていません。
ですが、絵だと効率が悪いと思ったんです。

 

絵と向き合うのは、僕にとって大変で…
人と比べてしまったり、
自分の絵に対する反応を気にしたり、
表現の拙さに嘆いたり…
絵で食べていく方法を考えたり、
絵と動物とをリンクさせる方法に悩んだり…
絵を通して動物を伝えるのは、とても難しく、絵に対する悩みも尽きない日々…

 

絵に対する悩みが解決されず、絵を通して動物の事が伝わっているのかもわからない…
絵を描いていても、ずっとモヤモヤしていたんです。

 

それはもう3年以上…
それでも絵を描く事をやめなかったのは、続けていた事だったから…

絵を描く事が僕の芯だと思っていて、やめたら何もかもなくなってしまうんじゃないかと感じていたんです。

 

でも、もうやめようと思ったんです。
以前も一度、絵から離れた事があって、それでもう一度頑張ろうと活動を続けていたんですが、結局また気持ちがブレブレブレブレになっていて…

絵に対する熱意も無くなっていると思いました。

 

それでも動物に対する思いだけは変わりません。
絵はついつい人と比べたり、作品の出来に一喜一憂してしまい、気持ちにムラを感じていましたが、動物を見ている時はすごく心がフラットで、いつだって新鮮な気持ちで感動できたんです。

 

だから、その気持ちを大切にしたくて、このサイトと野鳥観察を組み合わせて、新しい表現の場にしてみようと思ったんです。
これが2021年の僕の新たな挑戦です。

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