環境に配慮するってなんだ?

環境に配慮するってなんだ?

昨日の夜は、何を食べましたか?

僕達は毎日を生きている。それだけで自然の恵みを受け取っているんです。

僕達が生きることは、環境に何かしらの影響を与えています。

どうせ影響を与えるなら、その影響は人間にとってもいいものの方が良くないですか?

環境に配慮した商品を使うことで、日常生活をしながらも環境に配慮できると僕は考えています。

そもそも「環境に配慮する」ということが、どうゆうことなのか、一度考えをまとめておくべきだと思い、今回は「環境に配慮する」ことについて考えてみたいと思います。


環境に良いか悪いかじゃない

人間が生きていく上で他種から何かを貰うことは必然で、人間は生きている限り、環境に影響を与えているんです。

それがある種の生き物とって有利に働いたり、不利に働いたりして、生き物達の世界も変わっていきます。

環境に良いか悪いかは、見方次第でいくらでも変わってしまう考え方で不安定。


環境に影響を与えていると考えるべき

だから僕達人間は生きているだけで、何かしらの影響を環境に与えていると考えるべきだと思うんです。

そして僕達は自然環境の中で恵みを受けて生きている。

環境の変化は、僕達の生存に直結することなんです。自分達の生きている環境のことを考えず、何かが起こったときだけ騒ぎ立てるのは、生きることに無責任だと思いませんか?


自分達が生きるために、環境に配慮すべき

「環境に配慮する」ことは、僕達が生きるための行為なんです。

そして消費行動を否定せずに、環境に配慮するには、環境に配慮した製品を買うと言うことが選択肢になるのではないでしょうか?


環境製品は効果が薄い?価格も高い?

でも、環境に配慮された製品って、効果が薄くて、価格も高くない?

僕もそう思っていました。

だけど、最近は逆なんじゃないかと思っているんです。化学製品は効果が強すぎる・・・と。

汚れは適度に残っていた方が良い

皮膚科の先生が言っていたのですが、身体の垢は適度に残っていた方が肌にはいいらしいです。

それに最近はゴシゴシ身体を洗うよりも、手洗いで洗ったほうが肌にもいいと言われています。

お風呂に入るだけでも汚れは落ちるそうなので、そこに汚れを凄く落とすボディーソープを使うと、もう肌の表面を守る物が無くなってしまい、

身体を洗ったのに、肌が荒れるなんて事もあるかも知れません。

毎日使うものだから、効果は優しい方が良い

効いている感じが欲しい!!

そんな実感を叶えるために、今の製品には、色んな物が配合されているんです。

本来、自然派のものって、効果がわかりにくいんですよね。

僕は無農薬で野菜を育てているんですが、無農薬野菜は、慣行農法のものより小さい大きさになりますし、平飼い鶏の健康な卵は黄身が薄いんです。

毎日使うものだから、効果は劇的ではなく、ゆっくりと優しいものを・・・と思いませんか?

環境に配慮することは、自分の身体を気遣うことでもあるんです。

劇的な効果が必要な時もある

化学製品が不必要と言っているわけではないんです。

すぐに効果の出る化学製品が必要な場面もたくさんあると思います。

ですが日々の生活、毎日毎朝毎晩の繰り返しの中で劇的な効果が必要なことって、あまりないと思うんです。

薬にしても慣れてしまう

それに劇薬はその使用感から、これがないと駄目!!という感覚に陥りやすくなると思っています。

自分の身体の力を信じられず、外部の物に頼ってしまう。それでも生きていけるんですが、それはコストも掛かるし、資源も無駄に消費してしまうんです。

しかも、劇薬の刺激は慣れてしまえば、もう効きません。また新しい物を・・・と、自分の身体も蝕み、物を探すために時間を浪費することにもつながります。

価格もそんなに変わらない

環境に配慮された製品を探していると、効果重視の商品とそこまで価格に差がありませんでした。

勿論、価格の安さだけを売りにしている商品に比べれば、価格は高かったですが・・・


まずは1つ、自然に配慮した製品を買おう

自然に配慮する気持ちは、持続可能的なものにしなければいけません。

1週間だけの集中して配慮する!!ということではなく、生きている間、配慮していくことが理想的ではあります。

なので、一気にすべてのものを自然に配慮した製品にするのではなく、出来そうなところから、自然に配慮された製品に変えていってもらえたら、きっと動物達ものびのび暮らせるし、人間も健康になれると思っています。

近々、新しく買い直さなければいけない物があれば、それを自然に配慮された物に変えてみるのはどうでしょうか?


これは我慢ではないんです

何も買うな、何も食べるな!!

自然に配慮することは、そんな極端なことを言っているわけではありません。

人間も自然の一部で、その中で生きているから、人間活動で自分達の暮らしている世界に悪影響を与えて、自分達の存続が危なくならないように、配慮して生きていこうと言っているんです。


動物を描いたからこそ抱いた思い

僕は自然が好きだったけど、環境に配慮しようと思ったのは、動物の絵を描き始めた頃からでした。

それまでは「長く生きる・美味しい物を食べる・友達と遊ぶ・仕事が上手く行く・お金をいっぱい稼ぐ・旅行にも行ける」みたいな普通に考えられていることが目指すべき物だと思っていました。

けれど、その先に何があるんだろう?人間の限りない欲を見て、天井が無い物を追い求めることに意味があるのかと思ったんです。

それが進歩の原動力になることも理解できるんですが、結局人間は自然の輪の中から抜け出すことはできないんじゃないかと思い、大切にすべきは自然との付き合い方を考えることなんじゃないかと思うようになりました。


人間同士じゃ、損した気分

あっちを立てれば、こっちが損して。こっちを立てれば、あっちが損して。

人間同士で物事を考えると、結局、誰かが損した気分になるかもしれないなぁと思い、その結果「共有地の悲劇」が起こってしまい、環境も動物も人間も不幸になる・・・

ならどうすればいいのかと考え、第三者の存在を作ればいいと、僕は考えました。

世の中を持続可能的なものにしていくには、人間以外の存在を立てて考えればいいんじゃないかって。

そう、それが動物であり、自然であり、環境なんです。


環境を立てても、結果はゆっくりじんわり

環境という人間以外の存在を立てることが、持続可能的な世界を実現する良い考えだと僕は考えているんですが、

これは言葉で言うほど、簡単ではないこともわかっています。

環境に配慮しても、結果は劇薬ではなく、自然の物でゆっくりじんわりとしか見えてこないからです。


みんな、すぐに結果が欲しい

すぐに痩せる!!

すぐに話せる!!

すぐ行ける!!

みんな、すぐに結果が欲しいし、目に見える変化を求めています。

でも、基本的に自然はゆっくりとしか変化していかない。(たまに台風や大雨、洪水、落雷、山火事などで劇薬が投与されるけど)

結果もゆっくりとしか現れないと、僕は思っています。

それは僕が絵を描いてきて、8年目にしてようやく納得のできる表現になってきたと感じているからでもあるし、野菜を育てて野菜の生長を見ていく中で、自然の流れのゆっくりさを知ったからだし、日々の積み重ねが結果として現れることを実感しているからなんです。


すぐに結果は、まやかし

でも、世の中は「すぐにできる」が蔓延しています。

そして実際にできたかどうかは重要ではなく、そんな気分にさせればOKみたいな考えで「すぐにできる」が蔓延しているんです。

本当に自分の為になることは、目に見えず、はっきりとした形のものでもなく、毎日毎日積み重ねたきた何かだと僕は思っているんです。


社会で生きていない。地球で生きている。

人間社会で人間だけを見ていると、大多数の輪に入れなければ、自分が否定されたような感覚になるんです。

それはとても辛いこと。自分を責めたり、自分を大切にできなくなってしまいます。

けれど、僕達は人間社会で生きているのと同時に地球で生きているんです。


自然に配慮することは、生きることに責任を持つこと

この地球に自然があって、そこで動物達も暮らしている。この事実は、僕に大きなパワーをくれました。

あなたも動物に対して気持ちが動かされるなら、自然に配慮した生き方を一緒に目指していきませんか?

僕も何が本当に自然に配慮されているのか・・・それを学んでいる最中ですが、自然に配慮した生き方は、日々の生活に責任を持つこと。

意識的な生活は、大切な物がある生活は、人間だけの世界で生きていたときよりもずっと安定していて強い物になると思っています。

僕もそうだったから。


好きにすればいいと思っていたけど

僕は自分さえ自然に配慮していれば、他人に興味なんてなかったけれど、どうせ生きるなら同じ気持ちを持つ人達と会ってみたいと思う様になり、こうして自然に配慮するとは何かを考える記事を書きました。

まずは1つだけ。身の回りの何か1つだけを、自然に配慮された物に変えてみませんか?

それは誰かに誇れることではないのだけれど、自分の生活に対して責任を持つ行為。

人間が生きていく上で、自然に影響を与えることが必然であるなら、自然への影響は最小限になるようにしたいですよね。

それは、僕達が安心して暮らせるためでもあるんですから。

 

(2018.10.31 スポンジで動物を描く画家 おざきしょうた)