動物愛護がなぜ嫌われるのか?

2019年1月22日

2018年9月20日(木)~26日(水)は、動物愛護週間となっています。

この期間には、各地で動物愛護イベントが行われていて、本日は大阪動物愛護フェスティバルに行ってきました。

長寿ペットを祝福した記念セレモニーが行われて、動物への愛を感じるイベントでした。

場所は大阪市中央公会堂

会場内の様子

そんなわけで、今回も動物について考えていきたいと思うのですが、今回は、「動物愛護がなぜ嫌われるのか?」について考えたいと思います。

動物に配慮する事は、巡り巡って僕達人間にとっても有益な事なのに、どうして動物愛護と言う言葉に嫌なイメージを持つ人が多いのか?

そんな事を考えながら、動物愛護フェスティバルに参加していると・・・僕なりの答えを見つけた気がします。

結論、愛が強すぎる

ペットの犬や猫の長寿をお祝いする、長寿記録が更新される度に会場から歓声が上がる様子を見て・・・動物としてのパートナーと言うよりは、本当に人間の様に接しているんだなぁと、その愛に感動したのですが、この愛が問題なんじゃないかと思ったんです。

愛は一方通行

何かを愛する気持ちは、基本的に一方通行で、それを相手にぶつけた時に、相手が理解を示してくれれば、両思い。

でも、振られてしまったら、それ以上の愛を伝える事は迷惑でしかないわけです。

好きだからって何をしてもいいわけじゃないですよね?それを好きじゃない人もいるわけなんです。

だからと言って、愛護が否定されるわけではない

直接的に言う事で、愛を感じてくれる人だらけなら、

・ベジタリアンを勧めたり

・動物愛護を謳ったり

・実験動物廃止を訴えたら

みんなすぐに実行してくれるはずです。

けれど、世の中はそうなっていない。

こんなに皆さんが活動をしてくれているのに、世間の反応は冷たいものです。

でも、だからと言って、その動物を大切にする気持ちが否定されているわけではないと僕は思います。

直接が駄目なら、訴える方法を変えてみる

愛を直接伝えて、受け入れてもらえない・・・

人間同士の愛の告白なら、そこで諦めたり、別の方法で振り向かせようと逆に燃えたりしますよね?

なので、愛護の精神も、別の方法で振り向かせようと、自分を奮い立たせるべきなんです。

それとは気づかないけど、望むような世界へ持っていく

愛護の匂いがすると、拒否反応が出る人もいるので、別の方法と言うのは、愛護の匂いを感じさせずに、でもそれを使っていると、結果として動物達にとって良い方向に進む様にするべきだと僕は考えています。

素晴らしい精神も、嫌悪感を持たれたら本末転倒

動物愛護と言う、素晴らしい精神を持っていても、それを強要して、動物愛護自体に嫌悪感を抱かれてしまっては、動物達の未来は一向に明るくなりません。

動物を思う人の目標は、不幸な動物達を減らす事ですよね?

不幸な動物が減るなら、その方法を考える事に一生懸命になるべきだと僕は思います。

資本主義の中で、主張する

この世は、資本主義の世界。

何を買うか・・・は何を支持しているかと言う意味も持っている。

と言う事は、その中で動物達に配慮した商品やサービスを勧める事に尽力した方が良いと思いませんか?

・無農薬野菜は健康に良い!とか

・野菜中心の生活は健康に良い!とか

・実験動物を廃止しているメーカーの化粧品の使い心地が良い!(この時、愛護の気持ちは出さない方がいいと思います。実験動物を廃止しているから・・・と言う理由じゃなく、あくまで使い心地が良いと言う理由で勧める方がいい気がします。)

自分の主張に沿った商品を売る

資本主義の社会だから、その中で自分の主張に合った商品やサービスが売れてこそ、動物愛護の活動も寄付が無くても自分達で持続可能的に活動する事ができるんじゃないでしょうか?

僕達、動物を思う気持ちを持った人は、その主張を直接的ではなく、間接的に主張していかないといけない・・・

僕達の望む事は、自分達の主張を通す事ではなく、人間の手で不幸になる動物達減らす事・・・そこを間違えないようにしないといけません。

なぜ、動物愛護が嫌われるのか?

それは動物達に対する愛が強すぎるから。

そしてそれを他人に押し付けてしまうから。

愛を受け入れてくれる人には歓迎されるけど、それを受け入れられない人には迷惑でしかない・・・

迷惑でしかない人には、別のアプローチをしていくしかない。

不幸な動物達を減らす為に、僕達は考える事をやめてはいけないんです。